岩手県山田町 海中捜索ボランティアを終えて

帰ってきて1ヶ月たち、今更な気も... 自己満足かもしれません。

 

 

ボランティアに行った日  5月10日(火)~5月14(金)

 

*2011.3.11 東北地方太平洋沖地震   

 

地震の後から自分に何か出来ないか?ずっと考えていた....   

埼玉県さいたま市の「シーメイド」の太田樹男氏から連絡がある。   

以前からの友人でNAUIのコースディレクターでもある。

GW明けにボランティアで岩手県の海中捜索に行くとの事。

是非、自分も参加したい!手伝いたい!

出発は、5月9日の夜中!

シーメイドから車で岩手県へ向け出発との事。   

決まった!

5月9日当日、八丈島を出発。

夜、今回一緒に岩手に行く大坪俊彦氏と初めて会う。   

大坪氏は広島から来られたNAUIのコースディレクターで

岩手県山田町での我々のボランティアの道は、この人から、始まる。   

震災後、広島の社協から岩手県山田町の社協を紹介され岩手県入りし、

1人で、ボランティアの捜索をし、最初は、タンクもないので、水面からの捜索。   

仲間や器材などの必要性を感じコースディレクター仲間の   

太田氏に連絡が入り、太田氏から今回連絡を受けたというのが今回の顛末。 

5月9日夜、22:30浦和出発。   

潜水器材、タンクを運ぶ為、シーメイドの車での移動となる。   

山田町まで、約600km、10時間の移動。

朝に到着し、直ぐに作業が出来るよう夜中出発し交代で運転するとの事。   

交代で運転???  オレも???

普段高速運転しないのに大丈夫か???

みんな眠いの大丈夫ですか???オレに任せても大丈夫ですか??? 

   

福島県、宮城県を過ぎて、岩手県に入る。  

高速道路は、一部デコボコがあり速度制限があったが通れた。

早朝、遠野で高速おりる。 

桜が綺麗だった   

変わった屋根の形   

山の中で自然も多い   

やはり地震、津波の影響は海側だけらしい   

その後、釜石に入る   

すると、今まで普通だった街、角を曲がったとたん...   

景色がイッペンする...   

何もなかった普通の街が、瓦礫???   

車を降りる...   

くさい...   

それでも、その異様な光景は、前回より良くなっているとの事   

片付けも進んでいるらしいとの事   

いったいドコが???   

衝撃をうけつつ、目的地は、ここではないので先を急ぐ   

途中の海沿いの町は、どこも同じで津波が、町をすべて飲み込んでいた。 

  

山田町到着。   

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屋根の上に車と船が...

  

そのままボランティアセンター(通称ボラセン)へ   

ボランティアセンター

午前中は、車で、今回潜るポイントの下見。   

下見する途中で町を通ったけど...驚いた!   

 

町の中は、津波のあとに、火事になったそうで、いまだ焦げ臭い。   

テレビでみる戦後の景色が...   

目の前に...   

瓦礫が...   

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町の中

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越中山田駅

 カーナビが「この先、踏み切りです」といった先は   

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駅近くの踏み切り

何故か周りは、瓦礫、そんな中にポツンと一軒、またポツンと一軒家が...   

   

山に近い、海から離れたところの家は残っていたり   

あと、少し高いところにがあれば...   

「運」という言葉で片付けるのは....

   

でも、「運」なのだろう???   

壁に丸印は、建物の中をチェックした印。   

「OK」は、取り壊して大丈夫のサイン。   

新築っぽい家も....   

中は...ぼろぼろです...   

   

  

 

午後からいよいよ海中捜索開始!   

水中装備は、   

勿論ドライスーツ!   

インナーは、アイスダイブと同じ仕様(薄手のインナー+通常インナー2枚重ね)   

グローブは、アイスダイブ用、勿論フードは被るが、頭の保護の為、ヘルメット。   

ライトも可能な限り明るく大きいもの!   

ナイフは必須(水中拘束可能性大)   

潜るのは、前回潜ってないところ  

魚探に写った怪しい影のところ  

町の人の要望があるところ  

今回、協力頂いた地元の山田丸の船長や漁師の井筒さんと白野さんの  

意見を聞いてポイントを決定する  

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船長は、地震の時、船が心配になり沖に出そうとしたら引き波になり

「船底が港の底にゴン!ってあたってその後全速で逃げたよ。その後、港も町も全部波で見えなくなった。驚いた!」と。    

井筒さんと白野さんは、お二人とも跡取りの息子さんを津波で亡くされた。
特に、白野さんの息子さんは、消防団として堤防の水門を閉めに行って行方不明になられたそうです。   

見つからないと思うけど、もしかしてという思いもあり手伝ってくれています。
  

  

  (山田町は、これまで何度か津波にあっている為か水際から離れたところに津波用の堤防が作ってありました。普段は、扉が開いてますが、津波がくると、その扉をしめて、町に波が入って来ないようするものです)   

水中は、誰も同じ瓦礫の山を想像していると思います。  

色んなものが沈んでいるのでは???  

以外と何もないところも多いです。  

地形がリアス式海岸なのでリップカレント状になり引き波の時に一気に流されたのかな???   

家ごと流されていても、屋根だけになっているものも...  

震災から2ヶ月たっているので下の部分がなくなっていたり...  

山田町は、カキ、ホタテの養殖が盛んなところでした   

殆どの筏が津波で流されましたが、残っている筏に網や、家の残骸、車、  

ロープや色んなものが絡まり、また筏同士が絡まっている。  

その中に、入っていく。  

要注意 です!  

自分も絡まる可能性大!  

可能な限り入っていく  

実は、初日、カキ筏の下に侵入したときにフィンに紐が絡まった。  

 ナイフで切って脱出...(汗)   

※無事な筏もあり、個人のものも今は漁協が管理しているそうです 

  

  

山田湾の入り口の明神崎で潜ったときは、

波もあり、残骸にぶつかりヘルメットを被っていて良かったと思いました。  

湾の中は、透明度が悪いところが多く...  

30cm~10m  

ライトだけが頼りのところも多く、

 たまに、バディのライトが見えなくなると、ちょっと、心配になったり....  

  

水底は、ヘドロ状???砂???  

平らな砂地ではロープを使っての捜索   

水温6度~9度 寒いし 痛いです  

エントリーして何もなければ、直ぐに浮上し、次のポイントへ移動!  

ポイントが近かったり、水深が浅く透明度が良ければ、  

小型ボートからロープにロープを流し、それに掴まり水面から捜索!   

  

 

水中で色々発見しました

写真もありました。

しかし、最近は、デジカメで撮り、プリンターで印刷する事も多いせいか、  

顔料が水で溶けて、何が写っていたのかるのか分かりませんでした。  

20年前、30年前の写真は、現像のためか比較的綺麗に残っていました。  

座布団、辞書、CD、カーテン、時計、大漁旗など  

生活が、確かにココにあった!  

 

  

そんなダイビングを朝から夕方まで4日間繰り返し、繰り返し、繰り返しました  

(夜は、余震もあったり...)

肉体的にも、精神的にも、本当に疲れます...  

もしかしたら、この先にいるかも...  

もしかしたら、この下にいりかも...  

潜っている自分でも、もしかしたら...と思うのだから、

被災した山田町の人達は、もっとその思いが強いはずです。  

  

 

ポイントを変えて船越地区にも行きました

そこの漁師さんも地震の時に

やはり2回目の揺れが凄かったと仰ってました

海を見てたら、川みたいに流れてると思ったら

その後、色んなのが流れてきた....

家とか車とか大きな樹とか...

黒い、丸いのが浮いてたりね...

ブイかもしれないし、人だったかもしれない...

地震が収まって直ぐ船で出たかったけど

余震と津波警報が解除されなくてね...

出れなかったんだよね...

 

 

残念ながら今回、潜水中にご遺体を発見することは出来ませんでした。   

  

 

 

捜索に来た自分たちへの地元の人の言葉。  

  

あろがとう。見つからなくても、しょうがない...   

ここには、いないんだ...と、分かればいいんだから。  

諦めがつく... 

  

  

 

家族をなくされた地元の人の言葉。 

  

可哀相がられるのは、あきた。 

もう2ヶ月もたった。 

いつまでも、大変だったね。って言われてもね... 

  

  

 

 

被災してない自分への地元の人の言葉。 

  

もう普通に生活した方がいいよ 

色々ガマンしない方がいいよ 

商売してるならシッカリ稼ぎなさいよ 

それで、何かあったら、また手伝いに来てよ 

  

  

泣けてきます...

山田町の人は、本当にガマン強いと思います。 

自分達の方が大変なのに...

本当は、もっと... 

 

 

海中捜索ボランティアに行って 

4、5日は、何故かよく眠れませんでした 

1,2時間すると目が覚めて...

睡眠が浅いせいか、体がズ-ンと沈みそうな疲れが.... 

体もあちこち痛くて... 

帰ってきて直ぐ、自分の目で見たこと、聞いたことを、

書こうと思っても、なかなか書けませんでした。 

色んな人に、実際に行ってどうだった?って聞かれたもしました。 

でも、直ぐに答えられませんでした。 

言葉にしても何かを伝えられない気もするし

伝えるべき何かも分からないし

今は、山田町の人達が少しでも「前に進む」のに役に立てたのでは?

と自分を納得させてます。

お手伝いに行ったのに逆に「気持ち」を貰ってきました 。

  

山田町の人達

まだ沢山の人が、避難所にいます。 

毎日、風呂に入れない人もいます。 

それでも仮設住宅に入れる人が出始めたと聞いてます。

再開する店や歯医者もあると聞いてます。

頑張って「前進」して下さい!

もし、これからも何かお手伝いするがあれば、我慢せずに声をかけてください!

 

 

3 Responses to 岩手県山田町 海中捜索ボランティアを終えて

  1. mota says:

    お疲れ様。

    僕たちが震災から得たものは計り知れないね。
    本当に苦しみの中にいる人は優しくされるってことが
    身にしみてわかった気がする。

    ボランティアをしていろいろな人と出会えたけど
    今回こうして一緒に活動できた人達は
    強い絆ができたと思う。

    また山田行こうね。

  2. 中村 加代子 says:

    活動記読ませていただきました。
    お疲れ様でした。
      しばらくは、話す気にもなれなかった・・・と・言う言葉が
      被災地のむごさを、全て物語っていたと思います。
      応援に行かれた事「凄い~~~」と思いました。
      
      何かしなくては・・・じっとしていられなかった・・・
      素晴らしい行動力に 拍手です。
      ホントに 御苦労さまでした。
      
      お目にかかれた時には、又、お聞かせ下さい
                   中村 加代子
       

  3. 吉田 真一 says:

    大石さん、大変(危険な作業)お疲れ様でした。

    ほんとに青森・岩手から福島・茨城と被災エリアが広範囲です。
    宮城でも南三陸にエアーステーション開設が予定されていると
    いうことなので援助(まずは資金面から)始めました。

    7月になって自分の仕事が落ち着いたらお手伝いにも行きたい
    と考えてます。私のレベルでは水中作業はスキル的に厳しそう
    なので船や陸で何かお手伝いできればと思ってます。

    震災=風化させないよう自分も投げかけていきます。
    よっし~

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